喪主挨拶文

喪主挨拶

喪主挨拶文お世話になった方への挨拶は、非常に重要です。代理の方に言ってもらうのではなく、間違えてでもいいからご自分の言葉で伝えるようにしましょう。

父の葬儀

本日はお忙しいところ、父の葬儀にわざわざ御会葬くださいまして、誠に有難うございました。また、御鄭重な弔意ならびに御厚志を賜りまして、厚く御礼申し上げます。○○生まれの父は、家督を譲りまして以来20年、悠々自適のうちに過ごしておりましたが、昨夜明け方○○病院で眠るが如くに○○年の生涯を閉じました。若い時からさまざまな苦労も味わい尽くした生涯ではありましたが、まさに幸せな大往生ともいえる最期であったことは、子として何よりの慰めでございました。父が晩年豊かに過ごすことが出来ましたのも、偏に皆様方の御厚情の賜りと深く感謝致しております。これから残されたもの力を合わせて父の意志を受け継いでゆきたいと思います。これまで同様のご指導と御鞭撻をお願い致しまして、御礼の御挨拶と致します。

父の葬儀

本日は大変お忙しいところをわざわざ御参りを頂き、御焼香を賜りまして、誠に有難うございました。父、生前中は何かとお世話になり、有難うございました。これからは兄弟皆仲良くし、母を大切にして立派な家庭を営み、父にも安心して頂きたいと思っております。今後とも、亡き父同様の御指導、御鞭撻をお願い致しまして、御挨拶にかえさせて頂きます。

父の葬儀

本日はお忙しい中、またお休みにもかかわらず、かくも多数の方々に御会葬賜り、誠に有難うございました。また、会社の皆様方や先輩、友人の方々からは心のこもったお別れの挨拶を賜り、故人もさぞかし喜んでいると存じます。生前中の御厚誼に厚く御礼申し上げます。父は勤勉実直な人で、少しの時間もじっとしておれない性格でございました。朝5時には起きて調べ物をし、夜はいつも12時過ぎまで机に向かっておりました。そんな無理な生活の積み重ねが祟ったのか、一昨日脳溢血で突然意識不明となり、私達が病院に駆けつけた時にはもう意識がなく、そのまま帰らぬ人となりました。まだ、○○歳の元気だった父がよもや亡くなろうとは全く思ってもいませんでした。今は、ただただ、一生懸命頑張っていかねばと思うばかりでございます。まだ、若輩ではありますので、これまでにも増して御指導と御鞭撻を賜りますよう、ここにせつにお願い申し上げ御挨拶と致します。本日はどうも有難うございました。

父の葬儀

本日、お寒い中、父の葬儀にご参列頂きまして誠に有難うございました。父は人一倍健康には自信を持っておりましたが、去年十一月十日急に倒れて市民病院に入院いたしました。意識はしっかりしておりましたが、左半身が不自由で、その上言語障害の後遺症が残りさぞ辛かったと思います。家族交替で看病して参りましたが、遂に病には勝てず、一月二十一日午前七時十五分、市民病院におきまして享年八十七才の生涯を閉じました。父の生前中は皆様方に大変お世話になり感謝致しております。今日はまた、温かくお見送り下さいまして父も喜んでいることでございましょう。この場をお借り致しまして、御礼を申し上げます。有難うございました。

父の葬儀

皆様、本日は雨の中を父、○○の葬儀並びに告別式にご参列頂きまして誠に有難うございました。遺族を代表致しまして、御礼を申し上げます。思えば父が病気で入院致しましたのは、ちょうど一年前の梅雨どきで、やはり今日のような雨の日でございました。入院以来いつも口ぐせのように家に帰りたい、家に帰りたいと申しておりました。それだけに私共も何とかもう一度元気になってもらいたいと思い、看病を続けて参りました。しかし、高齢者ゆえそれも叶わず六月二十九日早朝、眠るように八十二才の生涯を閉じました。本日、こうして多くの方々にお見送り頂き、父もさぞかし喜んでいることと存じます。ここに改めて皆様から頂きました御厚情に厚く、御礼を申し上げます。今後共、亡き父同様のお付き合いとご指導の程宜しくお願い申し上げます。皆様、誠に有難うございました。

父の葬儀

皆様、本日は公私何かとお忙しいところ、御会葬下さいまして有難うございました。父は創業者として八十五才の天寿を全うし、幸せな人生を閉じました。思えば父は○○県の○○村からの青雲の志しを抱き十五才の時○○市に出て参りました。技術を身につけ昭和十二年、印刷業を創業しました。しかし、二十代半ばの時、大病を患い、それが原因で体に後遺症が残り大きなハンディを背負うことになりました。それでも不屈の精神でよくここまで頑張って参りました。その間には病気、敗戦、倒産という言葉では尽くせない辛酸を味わいました。しかし、今日がありますのも父の努力と皆様のご協力の賜と心から感謝致しております。父は自分が苦労しただけに、社会福祉に殊のほか気を配り、いろいろと努力して参りました。父の訓えである「堅実と誠実」をモットーに頑張って参ります。皆様、今後共変わらぬご支援とご協力をお願い申し上げます。今日は本当に有難うございました。

母の葬儀(神式)

本日は、お忙しい中、母 ○○の葬場祭にご臨席下さいまして、有難うございました。私は長女の里美でございます。母は民生委員や婦人会の役員をつとめるなど、すこぶる元気でした。ほとんど家にいないような活動的な母でしたが、去年の十一月初めに急に体調を崩し入院。それ以来、家族力を合わせ看病して参りました。しかし、治療の甲斐もなく五月十八日の朝、入院先の○○病院で息をひきとりました。八十四才の生涯でした。今は、先祖の御霊と共に私達家族を優しく見守ってくれていると思います。今日は、皆様にお見送りいただきまして、母も喜んでいることでございましょう。ご生前の御厚誼に対しまして、母にかわり心から御礼申し上げます。有難うございました。

母の葬儀

この場をお借り致しまして御会葬いただきました皆様に一言御礼のごあいさつを申し上げます。本日、何かとお忙しいところ、母の告別式に御会葬下さいまして有難うございました。母は持病の肝臓病が悪化し、去年の秋、○○病院に入院。以来家に帰りたいと言い続けたまま、ついに果たせず、蝉しぐれに送られるように八月十日四時三十分、静かに息を引き取りました。七十六才の生涯でした。ここに改めて皆様から生前頂きました御厚情、入院中のお見舞いに対して、御礼を申し上げます。これからも変わらぬお付き合いとご指導戴きますよう、よろしくお願い致します。温かいお見送り誠に有難うございました。

母の葬儀

本日は、あいにくの天気の中、参列頂き誠に有難うございます。母も深く感謝致していることと存じます。母は二ヶ月程前、風邪をこじらせたのが原因で肺炎を併発し○○病院に入院致しました。その後、食事もすすまなくなり、病院の先生方の懸命の治療も空しく四月十三日午後0時十五分、八十五才の生涯にピリオドをうちました。天寿を全うしたと申すべきかもしれません。思えば、母には苦労ばかりかけ、あと三年でも五年でも長く生きてもらって親孝行がしたかったと悔いが残ります。これからは母の教えをしっかり守っていくのが親孝行だと思っております。皆様、今後共変わらぬ御厚誼を頂けますよう、よろしくお願い申し上げます。ほんとうに有難うございました。

妻の葬儀

本日は御多用のところ、皆様方には亡き妻のために、わざわざ御会葬頂きまして、誠に有難うございました。おかげをもちまして、葬儀も滞りなく終えさせて頂きました。皆様方のあたたかいお心に見送られて、妻もきっと喜んで浄土におもむいたことと存じます。生前から色々とお世話頂きました皆様方に、故人に代わり厚く御礼申し上げます。妻は行年七十三歳。わがままな私に四十年間もよく仕えてくれました。これといった趣味もなく、ただ黙々と働いている姿を思い出しますと、もっと好きなことをさせてやっていたらと、今更ながら後悔の念が湧き上がってまいります。おかげさまで子供たちも孫たちも元気でいますが、とりあえず私はよそ様にご迷惑のかからぬよう、妻の位牌を守ってこの家で生活するつもりでございます。どうぞ、これからも変わらぬお付き合いのほどをよろしくお願い致します。本日は有難うございました。

妻の葬儀

本日は、お忙しいところ、妻・○○の告別式に御参列下さり、最後まで御見送り下さいまして有難うございました。また多くの方々より御弔意ならびに御香典を賜りましたこと、この場をお借りいたしまして厚く御礼申し上げます。私共が結婚いたしましてから○○年、二人の子もやっと私共の手を離れ、妻もこれからは好きなことをして暮らすと楽しみにしていた矢先の出来事でした。妻がまだ○○にして、ガン末期と聞かされた時には、大変ショックで、しばらくは仕事も手につきませんでした。しかし○○も入院中には毎日子供たちに囲まれ、これまでにない充実した日々を送らせて頂きました。先生や看護婦さんの懸命な御介護で、からだの苦痛もなく、安らかなうちに静かに息を引き取ることが出来ました。これまで○○は妻として母としてよくやってくれたと思います。そして「みんな、どうもありがとう、本当にありがとうね」と言ってくれたのが、何よりの慰めでございました。これからは残る二人の子供と一緒に生活してまいりますが、何分男手一つでは、何かと不行届きも多いことと思いますが、どうか、これまで同様のお付き合いを頂きますようお願い致します。皆様、本日はどうも有難うございました。

妻の葬儀 

皆様、何かとお忙しい中に御会葬下さいまして、有難うございました。生前、親しくお付き合いくださいました皆様に、お見送り頂き妻○○も喜んでいると存じます。今年三月、妻は体がだるいということで、病院で検査したところ、肝臓病と診断され四月二日○○病院に入院。以来、私と子供達四人が交替で看病を続けて参りました。入院中は自分のことより、子供達のことがきがかりで、一日でも早く家に帰りたいと申しておりましたが、薬石の功も空しく九月五日亡くなりました。享年四十八才でした。三人の子供達を片付けるまで頑張ると言っていただけに、さぞかし心残りだったと思うと無念でなりません。この上は、妻の気持ちに報いるためにも、私が頑張って子供達を社会へ送らなければと、心に誓っているところでございます。皆様、今後共よろしくお願い申し上げます。有難うございました。

妻の葬儀(キリスト教)

皆様、本日は寒さ一段と厳しい中、妻 ○○のためにお集まり頂きまして、有難うございます。亡き妻のために心こもったお祈りをして頂き、厚く御礼申し上げます。子育てもやっと終わり、これからという時の一年前に病で倒れ病床に臥す身となりました。辛い病気と闘いながらも、いつも私や三人の子供達のことばかり気にかけていました。早く家に帰りたいと言っておりましたが、それも叶わず一月十八日の夜、四十九才の生涯を終えました。子供達の将来を楽しみにしていただけに、断腸の思いでございます。しかし、今日こうして神父様に見守られて、神の御許に昇り、永遠の安らぎを得たものと存じます。皆様、本日は有難うございました。

子の葬儀(無宗教)

皆様、ご多用の中、○○の「お別れ会」に、ご参会頂きまして、誠に有難うございました。長女、○○は先月の十三日、急に頭痛を訴え中央病院に緊急入院。間もなく、意識不明に陥り、家族が交代で看病しました。しかし、病院の先生方の懸命の治療も空しく九月十五日十九才の短い生涯を閉じました。去年春、高校を卒業し○○○○(株)に就職。仕事の合間を縫いボランティアで介護のお世話をしたいと夜は専門学校に通い勉強に励んでいました。それだけに、まさかこんなにも早く亡くなるとは思いがけないことでした。本人の無念を思うと、返す言葉もございません。今日は好きだった花に囲まれ、その上たくさんの友人に見守られ、お別れ出来る美穂の十九才の人生は、短い命でしたが幸せでした。心から感謝致しております。本日は、有難うございました。